2月5日は何があった日??─第一次護憲運動が始まった日─

こんにちは。東進衛星予備校川西緑台校です。

◇第一次護憲運動、最近よく出題されます!

本日2月5日といえば、第一次護憲運動が始まった日です。近年の高校入試・大学入試の日本史の過去問をみていると、第一次護憲運動にかんする問題の出題率が非常に高いです。

ただ、第一護憲運動といっても、なかなか難しい。ごく簡単にいうと「明治憲法にそった政治を守れ!」と国民や政治家が政府にうったえた大正時代はじめの運動ですね。1912~1913年ごろ(明治の終わり~大正はじめ)に始まり、当時の総理大臣・桂太郎の内閣をやめさせることが目標でした。中心人物は、国会議員の尾崎行雄と犬養毅です。スローガンは「閥族打破・憲政擁護」でした。

閥族打破とは、一部のえらい軍人や官僚(藩閥)が政治を牛耳るな。
憲政擁護とは、憲法にしたがって、国会や政党を大事にして政治をしろ。

という意味です。

◇護憲運動が起きた背景

それまでの日本は、軍人や一部の藩閥出身の政治家が強い「藩閥政治」の時代でした。(桂太郎と西園寺公望が交代で総理をした桂園時代がその象徴)。
西園寺内閣に陸軍が「軍隊をもっと増やせ」と強く要求したところ、西園寺は「お金がない」と拒否。陸軍大臣が勝手に辞めてしまい、内閣は成り立たなくなり、西園寺内閣は総辞職に追い込まれますが、その後、再び桂太郎が第三次桂内閣をつくり、「また藩閥政治か!」と国民や野党が強く反発したのです。尾崎行雄や犬養毅らが「閥族打破・憲政擁護」をかかげて各地で演説会を開き、新聞や雑誌も桂内閣を強く批判していきます。その結果、多くの都市の人びとがデモや集会に参加し、桂内閣反対の運動が全国に広がり、桂太郎内閣は短い期間で倒れてしまったのです。

◇どんな意味があった?

民衆の力で総理大臣をやめさせた、日本で初めての大きなできごとになりました。この事件をきっかけに、政府は世論や政党の考えを前より重く見ざるをえなくなっていきます。後の「大正デモクラシー」の始まりと考えられている所以ですね。

◇まとめ

①桂太郎の藩閥内閣をたおし、憲法にしたがった政治を守れという運動。

②中心人物は、尾崎行雄・犬養毅。

③民衆の力で内閣が倒れ、大正デモクラシーのスタートになった。

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